※まだ準備中です。※閲覧はパソコン推奨です。製作者の力が及ばず、スマホ画面への対応が大きく後れをとっています。申し訳ありません。
※現在、取材~インタビュー、撮影にご協力して頂ける選手、指導者、関係者、OB、OGのみなさまを募集しています。私の頭で良ければいくらでも下げますので、ご協力お願いします。
3組のスケート姉妹
スポーツの世界には兄弟、姉妹で活躍する人たちもいます。スケートの世界だと2026年に国民栄誉賞を受賞した高木美帆さんと、姉で現在テレビなどで活躍中の菜那さんの姉妹が有名ですね。
私の身近なところにも、2002年のソルトレークシティと2006年のトリノと2回の五輪出場を果たした大菅小百合さんと、残念ながら姉妹で五輪出場とはならなかったですが、妹の淳子さんの姉妹もいます。
そしてもうひと組、私に縁のあるスケート姉妹がいます。大菅姉妹と高木菜那さんが所属していた日本電産サンキョーでコーチをしていた小沢竜一さんの妹さん、ショート・トラックの代表として3大会の五輪出場を果たした小沢美夏さんと、惜しくも五輪出場は果たせなかった姉の幸(みゆき)さんの姉妹です。
2026年現在、高木美帆さんの国民栄誉賞受賞に沸く中、私が知るアスリート姉妹について話をしてみましょう。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私=米田昌浩がスケート取材にのめり込んだきっかけとなったのが、大菅小百合さんとの出会いでした。2001年の秋のことでした。当時、妹の淳子さんは北海道帯広のスケートの名門、姉の小百合さんと同じく白樺学園高校スケート部3年でキャプテンをやっていました。その淳子さんとの出会いは、2002年ソルトレークシティ五輪の事前取材ために訪れた北海道標津町にある大菅姉妹の実家でのことでした。その後、淳子さんは小百合さんの強い推薦もあり三協精機(当時)スケート部に入部します。私は当然のように、小百合さんだけではなく、妹の淳子さんも一緒に取材を続けました。
私の知る大菅姉妹は本当に仲が良くて、小百合さんはいつも淳子さんのことを気にかけていました。練習でもいつも淳子さんのことを心配している様子が伺えましたし、小百合さんは常日頃から姉妹での五輪出場を強く望んでいるようでした。
しかし、その小百合さんの想いとは裏腹に淳子さんは大会に出てもタイムが伸びず、国際大会の日本代表に選ばれることはありませんでした。淳子さんは小百合さんと違って線が細く、食べてもトレーニングをしても、姉・小百合さんのようになかなか身体が大きくならず、筋肉も付きにくい体質のようでした。それは同じ姉妹でもこんなに違うのか? と目を疑うばかりでした。
性格も姉妹では違っているように、私の眼には映りました。小百合さんは血気盛んで何事にも積極的、いつも強気の姿勢を崩さずとても元気と行動力のある女性でした。一方、私の目に映る淳子さんは少し控え目で大人しく、いつも姉の小百合さんに引っ張られて、その背中を追いかけるようにスケートの練習に取り組んでいるように見えました。でも、似ているのはふたりとも芯が強く、とても強情な性格で、こうと決めたことは一歩も譲らないという強さを持っているように感じていました。


やがて、この姉妹に危機が訪れます。いつまでも結果が出ない淳子さんを、企業が選手として置いておけないという決断を下します。そのことに憤慨した小百合さんはやがて淳子さんを連れて独立することとなります。小百合さんは会社から独立して、大手企業であるダイワハウスをスポンサーにつけ競技を続けました。そして、淳子さんはコーチとして小百合さんを献身的にサポートしました。しかし結果的に、同じアスリートとしてではなく、選手とコーチという立場でも姉妹での五輪出場は叶わなかったわけですが・・・。
もう一組、小沢幸さん、美夏さんの姉妹ですが、私が追いかけていた日本電産サンキョースケート部にショート・トラックの技術を注入するために招聘された姉妹の兄でもある、小沢竜一さんを通して知り合うことになりました。SNSなどを通して少しやり取りをさせてもらう中で、貴重な話もいくつかお聞きすることができました。
小沢姉妹は大菅姉妹とは違い、姉の幸さんは五輪出場が叶わず、逆に妹の美夏さんは五輪3大会出場に出場しました。競技的には姉と妹が逆転してしまったわけです。その幸さんの話では、同じようにアスリートとして妹の方が先を行く、高木姉妹の方に近いものを感じるようでした。大菅姉妹はアスリートとしては絶対的な存在の姉、そしてその背中を追いかける妹。高木姉妹は、ふたりで五輪出場は成し遂げましたが、姉の菜那さんはアスリートとして先を行く美帆さんに複雑な想いを感じていたようです。幸さんは、そこに自分と同じようなものを感じたようです。私自身は兄弟、姉妹がいないのですが、考えてみれば一緒に同じ競技をしていて、妹が姉よりも上を行くという状況は、お姉さんの方は複雑な気持ちなんだろうなというのは想像できるような気がします。
ただ、大菅姉妹も小沢姉妹も、ふたりとても仲が良いのは間違いないようです。報道などを通じて見る限り、高木姉妹もとても仲が良いように見えます。今回は私が取材をしていた大菅姉妹の話を軸に書きましたが、今後機会があれば、大菅姉妹、小沢姉妹の対談や4人による座談会、そしていずれは高木姉妹にも取材をして、話を聞いてみることができたらと思います。みなさん、今後の展開にもぜひ楽しみにしていてください。

夏に成長する選手たち~夏合宿の取材
私は通常の、冬のシーズン以外にもスケートの取材に出かけていました。例えば、大菅小百合選手などが所属していたサンキョーさんの場合は、4月以降のレースが無い時期に会社にお邪魔して普段そこで働く社員の方たちと話をしたり、シーズン・オフの選手たちの様子を伺ったり(選手たちも会社員として働いています)したこともあります。
そして選手たちにとって、とても大事なのが夏合宿です。特に海外で行われる夏合宿ではシーズン中と違ってほとんど報道陣も居ないので、ゆっくりした気分で取材、撮影ができるので楽しかったですね。
けっこう私は、カルガリーやソルトレークシティで行われていた、海外での夏合宿にお邪魔していました。まあ、2004年から2008年まで私はアメリカに住んでいたので、日本に住んでいる日本の他のメディアの人たちよりも、カルガリー、ソルトレークシティに関しては行きやすかったのも事実ですし。選手たちもシーズン中と違ってかなりリラックスした表情を見せてることが多かったのもあり、監督・コーチも含めて普段の取材では聞けない話が聞けたり、交流を深めるという意味でもかなり有意義な時間を過ごせていたと言えると思います。
もちろん、夏のシーズンでもオリンピック・リンクには氷が張っていますし、通常の氷上練習もできるのですが、やはり夏合宿の面白さはそこではありません。夏のシーズンならではの陸上トラックでのトレーニングや、遊び感覚でボールを使った、球技を取り入れたトレーニングなんかも見られます。そんな時の選手たちの表情は、オン・シーズンには見られないものだったので、とても新鮮に映りました。もちろん、氷の上ではしっかりと滑りを確かめながらシーズン中と同じようなトレーニングも行われます。


そして時には、現地の日本人たちに招待されて食事会なども参加したりもします。私も一度、カルガリーでカメラを構えながら記念撮影の係として参加させてもらったことがありました。選手たちは当然普段着で、中には食事会などにもジャージで参加する選手もいましたが、まあシーズン中だけ追いかけていたらなかなか出会えない光景だったと思います。
元々、サンキョーの今村監督などとは、日本にいても一緒に食事やお酒をご一緒させて頂くことは多々ありましたが、やはり環境が変わり海外の空気の中だと、また違ったテンションで話が盛り上がったりもするので、とても楽しかったように記憶しています。それがやはり、私のスケート取材の強みとなり、武器となっていたのは間違いないでしょう。
私は当時、アメリカ中を飛び回って仕事をしていましたが、それでもやはり、普段は日本でしか取材をしないようなシチュエーションが海外に移ると、違ったものが生まれるのだと思いました。それが、果たしてシーズンのレース本番の取材に生かされていたでしょうか? それは、当時私が雑誌などに書いていた記事を読んだり、掲載していいた写真を見てくださっていた方たちに判断を委ねることにしましょう。
夏は選手たちを、体力的にも技術的にも、そして精神的にも大きく成長させるの時間なのだと思います。私はやはり、頻繁に夏合宿にも取材に行っていて良かったと思います。そうしたスタンスが、きっと他の取材にも生きていたのではないかと自分では思っています。選手たちや指導者のみなさんとそうして接することで、自分も少しだけジャーナリストとして、そして人間的にも成長する夏を過ごせていたとしたら嬉しいなと思います。


「『食』がすべてを決める! アスラ特別編集」(マイナビ出版)
ここで紹介する本は、昔「ATHRA」(毎日コミュニケーションズ)という雑誌の特集で、大菅小百合選手と、当時の旧三協精機スケート部のトレーナーさんに「アスリートの食事」についてインタビューしてものを、他のアスリートたちへの取材とともに、一冊の本にまとめたものである。なお、私が担当したのは大菅小百合の部分だけである。
ずいぶん昔の話しで~2002年か2003年だったか?…ちょっと記憶が曖昧なのだが(失礼)。取材は東京都北区にあるJOCの施設で行われた。内容は基本的に、「筋肉を大きくするための食事とは?」「試合前のカーボローディングに関して」などアスリート的な食時に関する内容から、それを一般の人がアレンジして取り入れる方法などについて話をしてもらっている。
ここで注目して欲しいのは、大菅小百合と一緒に掲載されているアスリートの名前の数々だ。なんと豪華なことか! 野球から清原和博、桑田真澄、野茂英雄。格闘技から船木誠勝、小川直也、ボブサップ。他にもボクシングの徳山昌守、スキージャンプの葛西紀明などが並んでいる。このラインナップに大菅小百合の名前もあるということから、当時いかに大菅小百合というアスリートが注目されていたかがわかってもらえるのではないだろうか? 彼女が初出場したソルトレークシティ五輪の後の取材だったからとはいえ、ハッキリ言ってかなりマイナーな競技であるスピードスケートの選手が、これほどまでに注目されたことには、時代背景なども絡んでいたのだろうか? しかも大菅小百合は清水宏保や岡崎朋美のようにメダルを取っていないのである。
そこには、私の贔屓目な見方になるのだが、彼女のキャラクターや性格~はっきり言ってしまうが彼女はかなり出たがりで、目立ちたがり屋だ。少し前に私が企画した、当時西武ラインズの松坂大輔との松坂世代対談などの影響もあったのかもしれない。そして、もうひとつ。彼女の持っているスター性みたいなものも関係していたのだろう。
残念ながら、大菅小百合は雪辱を期すはずだった次のトリノ五輪でもメダルには届かず、世間的に見れば、あの時の勢いはちょっと尻すぼみになってしまい、そこは非常に残念なのだが。それがたとえ、一瞬の瞬間最大風速だったにしても、当時の彼女の勢いはマイナー競技と言われるスピードスケートの世界を明るくしてくれていたと感じる。
当時は今のような出版不況の中、雑誌が次々と無くなっていくような時代ではなく、スポーツ専門誌も何冊もあり、スポーツ、スケートを取り上げる他ジャンルの雑誌も多かったのである。今、私が思いつくままに揚げてみると「Number」の他に「ATHRA」「SPORTS YEAH!」「スポルティーバ」「月刊テレスポ」「SPORTS FRIDAY」など、中には一瞬で消えて行った雑誌もあるが、こんなに多くのスポーツ専門誌が乱立していたのだ。関係ないが、どうりで当時の私は、今とは違って忙しかったはずだ…。
まあ出版不況を嘆いていても何も変わらないと思い、私が愛して取材を続けていたスケートに、ジャーナリストとしてもう一度関わりたいという強い願いからこのようなサイトを制作したわけだが、このサイトを制作することで、少しでもスケート人気獲得に貢献できたり、選手たちの、引退したOB、OGたちの環境が変わってくれるように願っているわけなので、みなさんも私ともども、スケート競技、選手たちにもっと興味を持って、応援して頂けたらと思う。
